講師紹介

KanekoYokoタイド・リンパカレッジ代表 金子洋子

大阪生まれ。2歳から小1の秋まで兵庫県神崎郡の山の中で自然に囲まれて育ちました。
幼稚園に通っていた5歳の夏、心臓に疾患がみつかり初めての精密検査を経験。
小1の秋、父の仕事の都合で東京・杉並区に引っ越す事になります。

小5の夏、心臓手術を受けた事をきっかけに「身体のしくみ」に興味をもちました。

高校卒業後、某化粧品会社にビューティーコンサルタントとして勤務。
厳しい研修で皮膚・骨格の知識を叩き込まれましたが、今思うと、このお陰で皮膚の構造やリンパの事への理解が深まったような気がします。

フェイシャルサロンを併設する店舗へ派遣され、そこでフェイシャルケアの技術を磨き多数のお客様から支持を得ることが出来、その後、サブチーフとしてスタッフの教育、スケジュール管理などをまかされる事になりましたが、「一生続けられる仕事ではない!」と思い退職。

24歳になる年に東京デザイン専門学校へ入学。
卒業後、設計事務所に就職。店舗設計アシスタントデザイナーとして働きました。
その2年後、アシスタントからデザイナーに昇格し有名ブランドの店舗設計に関わり、忙しいけれどやりがいのある仕事で、楽しい毎日でした。

そんな仕事が順調に進み始めた矢先、身体に異変が・・・
診断は膠原病。
病状が悪く仕事を続ける事は不可能と泣く泣く退職する事になりました。

精神的にも落ち込み、更に毎日続く高熱の中、絶望感に見舞われましたが、本来の三日坊主の性格が幸いしてか絶望しても仕方がない。私はまだ生きていると気持ちを切り替え回復した時の計画を練りだしたんです。
そのとたん体調が回復へと向かいました。
『病は気から』って本当なんだなと実感する出来事でした。
家族や友人の助けで体調と相談しながらも驚異的なスピードで社会復帰を果たした私は、この病気のおかげで更に身体への理解を深くしていくのです。

派遣社員として働いていた時、身体の為にと始めたヨガ教室に参加していた方の誘いでファッションの道へ。
広報(プレス)として一から学びながらキャリアを積みました。

40代になった私は、海外・国内と出張続きだったハードな仕事で自分の身体がむくんで立っていられない状況になっている事に気づき何とか状況を打破しようと調べた結果リンパドレナージュと運命的な出会いをします。
リンパドレナージュの施術を受けた時、自分の身体の中の滞りが流れていく感覚があり感動し、その後2年間施術を受け続けました。

そしてプレスとして働いて18年目の夏、その時勤めていた会社のゴタゴタに巻き込まれ仕事への情熱をなくしてしまい
それと同じ時期、40代後半を向かえ自分の仕事を変えるなら最後のチャンスではないか、身体に関わる仕事がしたい想いがマックスになります。

自分を騙して情熱をなくした仕事を続ける事はできず、念願の身体に関わる仕事をすべくリンパドレナージュを学べる学校に入学。
卒業後はインストラクターとして学校のお手伝いをしながらセラピストとして仕事を始め

2008年8月には自分のサロン
<リンパドレナージュサロン・セレッシャル>をオープン

ところが、開業したものの、私には決定的なものが欠けていました。
それは、「どうやったらお客様に来て頂けるか」を全く知らなかったんです。

そこから、試行錯誤の繰り返しでした。
まず、何から手をつけたら良いか、それすらもわからなかったんですから。
その時に学んだことが、今でも私の礎です。

2010年春からは「薬膳」を学び、食事面でもアドバイスできるようになりました。

セラピスト向けや一般向けのセミナーを開催してきましたが、移転をきっかけに2013年6月にタイド・リンパカレッジを開講しました。

お仕着せの方法じゃない、自分が経験した失敗も全て包み隠さず、貴女にお伝えします。
セラピストになる事は簡単ではありません。
でも私は出会った生徒さんには必ずセラピストとして独立していただきたい。
そんな思いでこの仕事に取り組んでいます。

国際資格:ITEC国際ライセンス リンパドレナージュ取得
ITEC国際ライセンス 解剖生理学取得

認定資格:日本リンパドレナージュ環境協会 認定 リンパドレナージュ1級
同、インストラクター認定資格

日本化粧品検定協会 一級取得
コスメコンシェルジュ資格取得
国際薬膳食育師3級
薬膳マイスター

<メディア掲載実績>
雑誌『セラピスト』2019年4月号

インターネットメディア『LIFUL STORIES』

 

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